日本語と言えば、びっくりさせられるのは様々のイメージが沢山あることです。 日本語は全然難しくないという人もいれば、日本語より難しい言語は世界中のどこにもない という人もいます。そして、その勉強のために漢字を学ぶことが必要では ないという観点もあるし、かえって漢字を学ばない生徒は上達することが できないという観点もあります。どちらが真相でしょうか。唯一つの答えがない ように見えますが、私もその疑問について自分の答えを探してみること にしました。
私にとっては昔から漢字に深い興味がありましたので、漢字が要らない という観点を受け入れることが全くできなかったのです。子供の時 切手を集めて幾つかの中国の切手も持っていました。例えば毛沢東と スターリンが一緒にモスクワの赤い広場に立って、その側に漢字で「何何何」 と書いてありました。全然分からなかったけど、虫眼鏡でみて一所懸命に 全部を書き写して、こういう風に漢字を20か30ぐらい集めました。 残念ながら中国の切手は少ししかなかったからこの趣味はすぐ終って しまいましたが漢字がとても面白いものだという印象が残りました。
それで四年前ぐらいから日本語を習い始めた時、漢字を勉強すべきかどうか と迷わず最初からそれらを習うことにしました。しかし、エンジニアの 教育を持っている私はどこでも最良のやり方を探すことに慣らされていた のでこの場合も先ず適当な学び方を決めることにしたのです。伝統的な 方法である多重反復学習、つまり、何度も繰り返して学ぶ方法は膨大な 時間が掛かるので私に不適当でした。幾度かの実験の後で自分の新しい 記憶術を発明して、それを使って四千の漢字を無事に習いました。 他の記憶術と違ってこの方式は漢字の読み方を特に覚えやすくして、 そのために熟語を記憶するのも簡単になります。例えば、「毛沢東」 という名前は昨日始めて百科辞典で見付けたのですが、ロシア語 の発音と全然違いました。その漢字と漢字の読み方が分からなかったらこの 発音を機械的に覚えるよりほかはなかったでしょう。私の場合、三つの 文字を覚えるだけで十分です。というのは「毛・沢・東」を記憶して、 その音読みを良く覚えているからそれらを一緒に付けて「毛沢東」 という言葉を得るのです。一口に言えば漢字は敵から味方に変わる という訳です。成程、漢字は具体的な意味を持っていますので覚える のも意味のない音節よりずっと簡単です。今、私にとって日本語の 文を読むと、漢字が多ければ多いほどいいです。その反対に 平仮名ばかりで書かれた文を読むのは実に嫌いです。
時間の都合がつかないから方式それ自体について詳しく話すことが できませんが、一言で言えばこの方式を使って勉強するのは本当に楽しくなる と言ってもいいでしょう。それにしても、この方式に基づく教科書などが まだありませんから私はこの四千の漢字を習うのに三年間も掛かりました。 こんな教科書ができたらその時間はずっと短くなるでしょう。教科書 よりコンピューターのソフトウェアの方がもっと良い方法だと思っています ので今私はそんなソフトウェアを作り始めています。それを使って私の様に 多くの漢字を覚えるのに掛かる時間は一年に過ぎないはずです。
つまり、漢字の役割についての議論において、自分の意見を持っています。 漢字そのものは悪でなくて、悪は伝統的な勉強の方法でしょう。 その退屈で機械的な方法に従って勤勉な生徒も漢字の勉強はつまらない ことだと思うのは不思議ではありません。結果として、文字が段々少なく なるし言語そのものも貧弱になります。将来に漢字が無くなるという 予言もある程です。私もその可能性が大きいと思います。というのは、 もし日本語が無くなったら、勿論、日本語の漢字も無くなるでしょう。 その過程はもう始まったらしいです。毎日取り入れられる外来語の数は、 どの言語より日本語の方が勝るでしょう。
ロシア語も他の言語から単語を取り入れていますが、大抵それらの単語は 重要でロシア語の言葉で表せない概念を表すように取り入られる ものです。日本語の場合は違います。勿論、スプーン・フォーク・ナイフ などが日本に入って来た時その言葉を取り入れました。そして、当然 「電子計算機」より「コンピューター」の方がずっと便利な言葉です。 でも、なぜご飯は「ライス」になったか私には理解できません。
最近、レンタルショップでCDを選んで「KISS」というロックバンドの アルバムを借りました。そのタイトルは「CHIKARA」で、それは 大きな漢字で書いてあります。「CHIKARA」というのは日本語で 日本人にとって分かりやすいはずのものでしょう。でも、注釈で ローマ字で書いた「CHIKARA」の後に片仮名で「パワー」という翻訳が 書いてあります。どちらが英語でどちらが日本語でしょうか。
もう一つの特色。去年あるロシア人の友達とスキーをよくしに行きました。 注目を引いたのはスキー・スノーボード・帽子・手袋などに書いてある言葉は いつもローマ字で書いてあることでした。私たちは賭けをしました。友達は 「そんな事はないよ!絶対一つぐらいの漢字は見つけられるはずだよ」といって 一日中日本人達のスキーウェアから漢字を探そうとしましたが結局一つの漢字も 見つけることができませんでした。そして、私の方が賭けに勝ったのです。 後でその理由についてある日本人に尋ねたところ、彼は「ローマ字の 方がずっとかっこいいから」と答えました。
その返事は私に子供時代のことを思い出させました。鉄のカーテンと言われていた 時代、英語の文字は特別な香りを持っていました。ロシア語の文字では何が 書かれていたでしょうか。「万国の労働者団結せよ!」・「偉大な十月革命記念 日万歳!」・「ソ連共産党に栄あれ!」ではローマ字では何を書かれていたで しょうか。「PEPSI-KOLA」・「ADIDAS」・「SONY」など。つまり、 古くてつまらないスローガンの反対にローマ字で書かれた言葉は自由な世界の イメージを持っていました。日本の場合もこれに似ているかどうか私には 判断しかねますが幾らか類似しているかも知れません。
多分外国人である私が自分の意見を日本人に押しつけることは失礼の様に 見えるでしょう。でも、私は本当に日本が好きで日本語より面白いものが ないという気がしますので、他の外国人達にも、日本語はとても 楽しくて簡単な方法で勉強できるということを証明したいのです。一方、 日本語に外来語を詰め込むと勉強が簡単になるという観点もあります。 が、そうすると私の考えられる結論は日本語の絶滅です。 どの文化でも言語が中心的な要素です。言語への待遇が悪ければ文化 そのものが苦しむはずです。それでは、皆さん、自分の国の言葉を大切に 守ろうではありませんか。
Vadim Smolensky,
会津大学